教典を書くことは義務ではありませんが、 きわめて望ましいことです。
基本的には、共存型一神教の信者が作る宗教は、 その信者自身のために存在するものです。 ですから、教典を書くことによって、 自分以外の人々が自分の教義について 知ることができるようにすることは、 かならずしも必要なことではありません。
しかし、共存型一神教に属する個々の宗教は、 それを創始した信者とは別の人間にとって、 まったく価値がないものとまでは言えません。 その宗教の教義を自分の教義の親教義にしたい と思う人が存在するかもしれません。
ですから、共存型一神教の信者にとって、 自分が創始した宗教の教義を記述した教典を書くことは、 義務ではありませんが、 強く推奨される作業であると言うことができます。
共存型一神教に属する宗教の教典は、 二種類の方法のどちらかを使って書くことができます。
二種類の方法というのは、 差分による方法と改変による方法です。 差分による方法については第三項、 改変による方法については第四項を 参照してください。
差分による方法というのは、 自分の教義とその親教義との相違点だけを記述する という方法のことです。
差分による方法を使って教典を書く場合は、まず、 自分の教義の親教義を記述した教典が何であるか ということについて記述します。 そして、それに加えて、 親教義に含まれている命題を修正したり削除したりする命題や、 親教義には含まれていない独自の命題について記述します。
改変による方法というのは、親教義から継承した命題も含めて、 自分の教義に含まれているすべての命題を記述する という方法のことです。
つまり、改変による方法を使って教典を書くというのは、 自分の教義の親教義を記述した教典に対して、修正、削除、 追加という改変を加えることによって、 それを自分の教義を記述した教典に作り変える、 ということです。
改変による方法を使って教典を書く場合も、 その親教義を記述した教典が何であるかということを 自分の教典の中に記述しておくことは、 強く推奨されます。 なぜなら、教典の読者は、 その親教義を記述した教典を参照したい と思うかもしれないからです。 親教義を記述した教典が何であるかということを記述することは、 それによって、 親教義を記述した教典を読者が参照することができるようになる という理由で、 きわめて望ましいことと言えます。
いいえ、教典の形式は自由です。
「共存型一神教標準教義」が採用している形式は、 共存型一神教に属する宗教の教典を書く際に 踏襲しなければならない制約ではありません。 共存型一神教に属する宗教の教典は、 自由な形式で書くことができます。 必要最小限の命題を羅列するだけでもかまいませんし、 読む人の理解を助けるために、 解説の文章や譬え話や図解などを加えてもかまいません。
それも許される方法のひとつですが、それよりも望ましいのは、 取り込んでいる宗教の教義に含まれる命題を 細大漏らさず記述するという方法です。
多くの宗教においては、 その教義がどのような命題から構成されているのかというのは、 完全に明確になっているとは言えません。 教典の中で教義が記述されている場合でも、 その解釈には多少の自由があるのが普通です。 ですから、共存型一神教に属する宗教の教典の中に、 何らかの宗教を取り込んでいるということを記述するために、 単に「何々教を取り込んでいる」と書いただけの場合、 その教典の著者はその宗教の教義をどのように理解しているのか、 ということが明確ではありません。
したがって、共存型一神教に属する宗教の教典の中に、 何らかの宗教を取り込んでいるということを記述する場合は、 自分はその宗教の教義をどのように理解しているのかということを 明確にするために、 その宗教の教義に含まれる命題を 細大漏らさず記述することが望ましい、 と言うことができます。
共存型一神教に属する宗教の教典は、 それに改変を加えたものを、 許諾を得なくても配布することができる、 というライセンスで配布することを推奨します。
第四項で説明したように、 改変による方法を使って教典を書くというのは、 自分の教義の親教義を記述した教典に対して 改変を加えることによって、 それを自分の教義を記述した教典に作り変える、ということです。 この方法を使って教典を書いた場合、 自分の教典を配布するためには、 親教義の教典のライセンスに従う必要があります。 ですから、共存型一神教に属する宗教の教典は、 それを親教義とする子教義の教典を 自由に配布することができるように、 それに改変を加えたものを、 許諾を得なくても配布することができる、 というライセンスで配布することが推奨されます。