人間は、生きているあいだは神ではありませんが、 死を迎えたのちに神となります。
ただし、 生物のうちで人間だけが死後に神となるわけではありません。 すべての生物は、死を迎えたのちに神となります。
いいえ、それは許されることです。
崇拝という行為は、 畏敬の念を抱かせるものに人間が接したときに生じる 自然な感情に由来するものです。 畏敬の念を抱かせるものというのは、 かならずしも神だけに限られるわけではありません。 人間、他の生物、そして無生物でさえ、 人間に畏敬の念を抱かせることがあります。 そのようなものに接したときにそれを崇拝するという行為は、 きわめて自然なものですので、それを咎めることはできません。
ただし、第一項で述べたように、 生きている人間は神ではありませんので、 生きている人間を「神」と呼ぶことは適切ではありません。
「天命」(decree)というのは、 第一原因が人間に与えた使命のことです。
いいえ、天命はすべての人間に与えられるものです。 けっして特別な人間だけに 天命が与えられるのではありません。
いいえ、それぞれの人間に与えられる天命は、 それぞれの人間ごとに異なるものです。
はい、可能です。
人間は、自由意志を持つ存在者です。 したがって、人間は、 自分に与えられた天命を実行することも 実行しないことも可能です。
いいえ、自分に与えられた天命を実行しなかったとしても、 その人が第一原因から罰を受けるということはありません。
はい、与えます。
天命を実行した人間に対して第一原因が与える報酬というのは、 天命の実行に伴って生じる存在意味感です。 存在意味感というのは、 「自分の存在には意味がある」という精神状態のことです。
存在意味感は、幸福感の一種です。 存在意味感以外の幸福感が、 天命の実行とは無関係に発生するのに対して、存在意味感は、 天命を実行しなければ けっして味わうことのできない精神状態です。
第一原因は、 存在意味感を発生させる機構を人間の心の中に作ることによって、 自分が与えた天命を人間に知らせます。
人間の心の中には、存在意味感を発生させる機構があります。 その機構は、 人間が天命を実行したときにのみ存在意味感を発生させます。 ですから、何かを実行したときに存在意味感が発生したとすれば、 それがその人に与えられた天命だと知ることができます。
ですから、人間が自分に与えられた天命を知るためには、 試行錯誤が必要です。 しかし、 あらゆることを試してみなければならないわけではありません。 なぜなら、第一原因は、存在意味感を発生させる機構だけではなく、 天命を見出すためのさまざまな手掛りをも 人間の心の中に組み込んでいるからです。
いいえ、一人の人間の天命は、 かならずしも一定とは限りません。
第二章第二節第九項で述べたように、宇宙において、 決定論は真ではありません。 すなわち、宇宙においては、 第一原因が予期しなかった事象が 発生することもあるということです。 ですから、発生した状況によっては、 過去に人間に与えた天命が適切なものではなくなることもあります。 その場合、第一原因は、 人間に与えた天命を変更することになります。